悪魔の言葉「ジャズボッサ」

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ジャズボッサは悪魔の言葉だ。どんな音楽聴くの?と訊かれた時や、今何聴いてるの?と訊かれた時、もし「ジャズボッサ」と答えれば、そこにいる全員からの半笑いか失笑、もしくは大笑いの後の「へ〜」をもらう事ができる。ただでさえ「ジャズ」だけでもそうなるのに、そこに「ボッサ」が加わっているんだからまぁまず間違いない。
こんな事にならないよう僕はジャズボッサなんて言葉は普段口にしないよう細心の注意を払っている。この事をここに書くのでさえかなり危険だが、そんな危険を冒しても勇気を持ってジャズボッサについて書こうと思う。
5年位前までは僕もまた他の人と同じ様にボサノバに敵意をもっていたし、ジャズを好きな人は全員どうかしてると思っていたけれど…。
ジャズはアメリカの音楽で、ボッサつまりボサノバはブラジルの音楽である。世界史や地理の話になってしまうが、ブラジルはかつて植民地で、今も白人系と黒人系の両方が住んでいる。ボサノバの端緒は黒人奴隷の音楽であるサンバと、白人の港町の音楽であるショーロの融合でbossaはこぶ、novaは新しい、だからロックで言うところのいわゆるニューウェーブと語源的には一緒で云々カンヌン……
というより聴いた方が早いので↓


みなさんご存知ボサノバ界の貴公子、カルロス・リラとサックス奏者ポールウィンターの「Voce E Eu」(あなたと私)。
僕は2年に一曲くらい、初めて聴いた時にびっくりしてそのまま20回くらいリピートで再生する曲が出てくるのだが、この曲のアストラッド・ジルベルトスタン・ゲッツのバージョンはそれだった。残念ながらそれはYouTubeに無かったので本家カルロス・リラ大先生のバージョンを。
僕は群馬県大泉町という住民の2割近くがブラジル人の町の出身で、地元の図書館のブラジルコーナーがやけに充実していた。そこでビバ!ボサノーバ!というモロなコンピレーションアルバムを借りたのがボサノバを知るきっかけだった。今の日本でボサノバはカフェミュージックかリラクゼーション音楽、もしくはカバーアルバムの1ジャンルというイメージで定着しているが、もうブラジル人にとっては日本でいう演歌のような、古臭い音楽という扱いらしい。1960〜70年代にボサノバやサンバが日本で流行した背景にはその前のアメリカでのブームがあるので、日本でイメージされているボサノバはアメリカ人から見るボサノバという面があるのかもしれない。ボサノバは今の日本で思われているよりももっと土臭い、洗練されていない、ダンディなオジさんの音楽だと思う。そういう意味でアメリカを経由したボサノバ、英語で歌うボサノバ、演奏に特化したボサノバであるジャズボッサはすごく聴きやすい。
仕事柄スーツで通勤している。スーツを着ているときはジャズを聴くとかっこよくなった気がする。今日なんかは湿度の高い雨の中、傘をさしてスーツで闊歩しながら、ジャズボッサを聴いて「俺キマってるなー」と思ったりする。
よく、音楽はかっこつけで聴くものじゃないと言う人がいるけれどそれでいいんだと思う。どうかジャズボッサを聴く人をいじめないで欲しい。ジャズボッサを聴く人より。