ボロボロでピカピカなギター

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ギターがずっとボロボロでくすんでいたのでクリーナーと磨く用の布を買って久々に綺麗にした。こんな15万もする物をなんで僕はおざなりに扱ってしまうんだろうとキュッキュキュッキュと拭きながら考える。
 
 
ギタリストの中には、ギター自体に興味がない人もいる。
最初にそう思ったのは高校2年、アメリカのオルタナティブロックバンド、ソニックユースのこの動画を見た時だった。
 
 
TSUTAYAではニルヴァーナの先輩バンドとして紹介されていた。
この2人のギタリスト、サーストン・ムーアとリー・ラナルドは、ギターをバットで擦ったり、床に突き立てたり、放り投げたり、二本重ねてみたり、踏んでみたり、とにかくギターを粗末に扱う。
実際にインタビューでも、ギター自体には別に興味はなく、扱える楽器がたまたまギターだっただけだと言っている。2人にはギターを普通に弾きたくない理由があった。
 
ソニックユースは10作以上スタジオアルバムを出しているけれど、特にこの時期(1970年代後半〜80年代)の彼らにとって、ギターはただのノイズ発生装置だった。ギターのチューニングも曲によってバラバラで、ライブにはいつもそれぞれ10本以上のギターが持ち込まれる。その全部がボロボロでシールもベタベタに貼ってある。
 
パンクの、バカにしたような態度や下手くそでもエネルギッシュな演奏は破壊的だったけれど、曲については、しっかりとブルースの影響を受けた正統派で、特別に新しいジャンルのものではなかった。
一方でニューヨークにはノーウェーブというムーブメントがある。芸術運動の中にも退廃的で破壊的な、ダダイズムという運動があるが、ノーウェーブはそれと似ていて、ロックの音楽としての存在を根底から覆そうとする挑戦的なものだった。
 
当時の現代音楽家をはじめとしてノーウェーブに属するバンド達は、正確な音の並びから外れたものや音階がランダムで楽譜では表せないものなど、今までの音楽史には無かった未知の音を出そうとし、またどんな音でも音楽として迎え入れた。現代音楽の大家、ジョン・ケージが真っさらな楽譜を目の前に置いて、何も演奏しなかったのは、客が鼻をすする音や、演者のジャケットの裾が擦れる音など、日常にある全ての音を音楽としてしまうものだった。
 
エレキギターが大きい音を出す仕組みはピアノやトランペットなど、鳴っている音をそのままマイクで拾うものとは根本的に違う。木材に張られた弦の下にピックアップという四角い装置が設置されていて、その中には6本の鉄の棒がある。その周りに何重にもコイルが巻かれ、電磁誘導で弦の揺れを電気信号に変える。その電気信号をアンプという増幅装置でまたスピーカーの揺れに戻す。
ギターとアンプとの間にエフェクターという装置を噛ませれば、ギターから送られた電気信号を過剰に増幅して歪ませたり、二重に演奏させて広がりを持たせたりと、音をいくらでも操作することができるからエレキギターは電子楽器でもアコースティックな楽器でもない。エレキギターの本体はピックアップで、たまたまその上で弦が揺れれば何でもいい。
 
たぶん大昔なら、楽器は神聖なもので、壊してはいけなかった。伝統のやり方で師匠から教わった響きを綺麗に出す必要があった。でも今は何をしてもいい。蹴ったらどんな音が出るか試してもいいし、ギターの弦を引きちぎったって音楽だ。
超貪欲で、どれだけ食べてもお腹いっぱいにならないロックという音楽ジャンルのおかげでギタリストは自由になった。
 
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ソニックユースを聴いて僕はパンクの次にノーウェーブを知った。
ギターを踏んづけて、わざとチューニングがずれたまま弾いて、モーターをピックアップに近づけて……
 
ギターがボロボロになったら、またパンクに飽きた後と同じ悩みが出てきた。
自由になって何をしよう?
何で僕はギターを持って人前に?
 
ふと現実に戻って、僕はまだギターを磨いている。
たぶんギターはボロボロで光ってる方がいい。