バイクまみれ 1日目
ブログのタイトルは「音楽まみれ」ですが、バイクの中型免許を取ることになり、せっかくなのでここに書いていこうと思います。
生まれてこの方、音楽以外の趣味はと訊かれて思いつくものが全くありませんでした。
映画もアニメもゲームも漫画も本も趣味と言えるほど詳しくないし、バイクも、イケイケのお兄さんや寂しいおじさんがこのパーツがどうのこうの言ってニヤニヤしながら乗るもので自分には全く無縁だと思っていました。
でも今年の4月ごろからバイクを目にする機会が増え、このバイクはカッコいいなぁとか、あのバイクはダサいなぁとか考えているうちに、どうも好みのバイクに出会ってしまいました。HONDAのVT250Fです。
ギターをカッコイイと思ったら弾きたいのと同じようにバイクをカッコイイと思ったら乗りたいと思ってしまうもので、
ただスマホの中の画像を見ているだけでは満足できず、6月頃に興味を持ち始めてからウズウズしつつも、本当に乗ろうかどうか2ヶ月悩みました。
というのも、人がバイクに乗らない理由はいくらでもあります。
危ない、雨に濡れる、荷物が乗らない、夏は暑い、冬は寒い、うるさい、疲れる。
ましてや僕の欲しいバイクは古い型なので、壊れる、パーツがない、直せる人が少ないなど、さらに乗らない理由は増えます。
バイクに乗るなんてバカです。
このスマートな時代に。
でもどうしてバイクに乗りたいと思うのか。
それが何かよく分からないまま、気づいたら教習所に入学していました。
きっと乗れば分かるはず。
今日は1日目、適性検査を終えたらトイレに行く時間もないままヘルメットにグローブ、胸と背中のプロテクター、肩当、肘当て、ゼッケンと完全装備に。
ズボンの裾は靴下の中にいれてみんなとてつもなくダサい格好になりました。
これも誰もが通った道。
矢沢永吉も尾崎豊も長渕剛も、どんなワルでも最初からクールでキマってるやつなんかいません。
炎天下の中、高校生からおじさんまで横並びになって対等に学びます。
チャイムが鳴ってからあれよあれよと言う間に倒れたバイクの引き起こしから取り回し、跨って操作方法とギアチェンジ、走り出しまで一気にやりました。
感想は、
バイクマジで重い。
本当でっかい冷蔵庫くらい重いです。
グラグラするでっかい冷蔵庫に跨ってバランスとってる感じ。
仮面ライダーでも何かのドラマでも、バイクがすごく軽そうに見えますが実際はとてつもなく重く、本気で起こそうとしてもびくともしないし、跨った状態からちょっとよろけただけで簡単に倒れて挟まれます。
でもこれがそのうち数十キロの速さで走るわけで、この重みがバイクに乗る責任の大きさというか、バイクに乗りたいなと軽く思う先に待ちうけてるもので。
まず根本的に筋トレしないと。
加えて、僕は身長164センチで、跨った状態で足が踵まで着きません。
走り出してからよろよろと止まる時にビビったら最後、片側だけに体重がかかって片足で支えきれずそのままビターン。他の教習生も転びまくり地獄絵図に。
教官もおそらく乗りたい気持ちをわざとそのままに乗らせて全員の心を折りにきてます。
訳がわからないままあっという間に終わったら汗でビチョビチョ。
心を折りに折ってようやく乗れるようになるんだたぶん…
浜田省吾を聴いて帰りました。
ディスジャパ結成まで②
〜前回の続き
サークルに入ってから毎月のようにイベントが開催された。
いつの間にか松坂大輔は消えていた。
どんなサークルも同じだと思うけれど、新入生は最初は初めてのイベントに恐る恐る参加するので、その後サークルに誰が残っていくのかは読めないところがある。
今まで毎回参加していた人が大学内に他のグループを見つけてパタッと来なくなったり、時々しか来なかった人がいつの間にか主要メンバーになっていたりする。
僕には5歳上の姉がいて、年上の人と話すのは苦じゃなかったし、むしろ好きだったので、僕はすぐに部室に入り浸るようになり、1ヶ月後には先輩をないがしろにしてスマブラに熱中する程になっていた。
6月ごろに名古屋の大学との対抗戦のようなイベントがあった。基本的には運動部が参加するのだが、なぜか軽音楽サークルもその年から参加することになったらしい。そのライブは出演枠が決まっていて新入生は出られなかったので、ほとんどの新入生は見に来なかった。
僕はそんな感じで、もうここが自分の居場所だと舞い上がっていたので、1日目から1人で手伝いに参加して、もはや先輩にも君は友達が居ないんだねといじられていた。
大ホールの中1人で座ってライブを見ていると、後ろから新入生の集団がワイワイゾロゾロと階段を降りてきた。その先陣を切るリーダーが水元だった。
「きっとあいつが新入生の中心人物なんだ…」
友達も作らずに1人で来ているのが急に恥ずかしくなってバレないように顔を伏せた。
それからは普通に話すようになったけれど、水元のベースプレイは今ほど大人しくなく、真っ赤なジャガーベースを体の上の方で構えて、ダボダボのズボンでユラユラと弾いていたので相当怖かった。
正直、ディスジャパを結成するまで2人だけで話すことはほとんどと言っていいほどなく、未だに話が全然噛み合わない。仲が良い訳でも仲が悪いわけでもないけれど、たぶんお互いがお互い掴みどころがないと思っている。
そんな水元には意外にも求心力があり、2年後にサークルの世代交代で会長になった。
僕は自分が会長だと信じて疑いなく、会長と呼ばれた後に何を言おうか前日に考えていたくらいだったので水元が呼ばれた後も5分くらい信じていなかった。
あとで聞くとビックリしていたのは僕だけらしい。本当に掴みどころがない…。
杉森さんと川村さんは2つ上の先輩で僕と水元が入った時には3年生だった。
2人とは僕がサークルに入ってすぐ下北沢の僕の部屋でしょっちゅう遊ぶようになっていて、朝までゲームをして次の日の講義は休む、みたいなダメな大学生の典型的な生活をしていた。
一緒にコピーしたバンドもたぶん同学年より多いと思う。ユニコーンやGang of four、ZAZEN BOYS、FUGAZIなどキリがない。
僕のいたサークルではオリジナル曲を演奏する場はなかったので、杉森さんは僕が入学した時にはすでにオリジナルのバンドを組んで、ライブハウスを借りてライブをしていた。
時々見に行っていたけれど、卒業の時期になってそのバンドは解散することになった。
その時、杉森さんがまたバンドを始めると言い始めて、ギターとして誘われた。
バンド名は…プロジェクトジャックナイフ(PJK)かディスイズジャパン(TIJ)。
満場一致でディスイズジャパンに決まった。
どうしてその時に杉森さんがディスイズジャパンと言ったのかはさっぱり分からない。ノンポリだし英語喋れないし愛国心も大してない。唯一言えるのはプロジェクトジャックナイフだけは嫌だったことだけ…
初ライブはとにかく無茶苦茶だった。やりたい事があり過ぎてズタズタな展開のうえギターは今の3倍くらい爆音。ウオーと叫んでジャンプ!最後は楽器を放り投げて終了。
でもよく考えるとサークルの時と何も変わってない。今も大して変わってない。
サークルでこの4人集まったらたぶんスピッツでもキリンジでも楽器放り投げている気がする。
おわり
ディスジャパ結成まで①
8/3に僕がギターと時々ボーカルを務めるTHIS IS JAPANのnew mini Album "DISTORTION"が発売されました。
前作は丁度2年前の8月、それからライブにライブを重ね、満を持してリリースした自信作です。
既にタワーレコードやHMV、disk union、VILLAGE VANGUARD等に置かせていただいています。ぜひ聴いてみて下さい。
祝発売ということで今回はディスジャパ結成の時の話を。
前回の記事から1ヶ月…本当にやり出したことが続かない性格……
今シリーズはテンポよく書きたいです…
過去の記事から伝わる通り、僕は高校時代には、少なくとも音楽について気の合う友達が1人もいなかった。
当時読んでいたEYESCREAMという雑誌で特集して欲しい記事の募集があり、Sex Pistols/Public Image Limitedのジョン・ライドン、と書いて応募して、その半年後くらいに本当に特集記事が出て大興奮しても、周りにジョン・ライドンを知っている人は1人もいなかったのでその興奮は誰にも話すことができなかったし、TSUTAYAの端で見つけたCDを聴いてこれいいな!と思っても、ニヤニヤしてはまた次のCDを探していた。
その時はそれが当たり前と思っていたけれど、きっと東京に行けば気の合う人がたくさんいるんだろうなと思って、進学は迷わず東京の大学を選んだ。
入学してすぐサークルの勧誘イベントがあり、その期間中に学科の歓迎会もあった。
僕が入ったのは哲学科という変わったところだったので、他に比べて音楽好きは多かったのかもしれない。オリエンテーションで既に見つけていたディープパープル好きで松坂大輔似の大男とご飯を食べていると、向こうから先輩が2人現れた。
その先輩のうちの1人は、ドクターマーチンに膝が丸見えのダメージジーンズ、ラフな白いシャツにタータンチェックのネクタイ、金髪でロン毛と、まるでロックそのものを体現したような格好だった。(ディスジャパのメンバーではないです。)
なんかすごいぞと思いながらカートコバーンの話をしていると、明日勧誘のためのライブでジミヘンのコピーをするから見に来て欲しいという。
今思うとジミヘン好きなパンク師匠のお導きだったかもしれないが、その時はそんな事も気付かずにウキウキしながら翌日、松坂大輔と教えてもらった教室へと向かった。
華奢な僕を全く知らないジャンルに是が非でも勧誘しようとするムキムキの先輩達を掻き分けて階段をのぼり、小さな教室に入ると、時間を間違えたからか例のロックな先輩がGO!GO!7188のサンダーガールのギターソロを熱奏していた。
その先輩には後からジミヘンの時間に来なかったことをすごく咎められた。
ライブが終わった後、毎年恒例という花見に誘われ、先輩たちと話していると、どこからともなく泥酔したかなり年上のOBの人がやってきた。
「君はどんなバンドが好きなんだい?」そう訊かれてどう答えようかかなり迷った末に、僕は知らないと言われる不安を抑えてPublic Image Limitedですと答えた。
すると、
「高校生でPILを聴いてるなんて頭おかしいね。」
と言ってくれた。
頭おかしいはその時の僕には最高の褒め言葉だった。そのOBの先輩とはたった一言しか交わさなかったけれど、なぜか言いようのない安心感でいっぱいになった。
それから、他の軽音系のサークルすら見に行かずそのサークルに入る事を決めて、まだ入ってもいないのに翌日の勧誘ライブ2日目から、卒業するまで、全部のイベントに参加する事になる。
2009年の出来事。
長いので次回に続く…
四つ打ちと心臓
初めてクラブに行った時のこと。
それまで、バンドとDJが一緒になったものや知り合いが企画した小さなイベントにしか行ったことがなく、プロのDJを見たのはそれが初めてだった。
深夜12時を過ぎた頃、ほとんど人のいない静かな代官山の路地を抜けて一見ただのレストランに見えるガラス張りの建物の中にある、なんともセキュリティの過剰なエントランスを通って地下に降りる。
ドアを開くとそこは天井の低い薄暗い空間になっていて、様々な年代の男女がひしめき合っている。みんなそれぞれ服装はバラバラ。立ち話をしたり、座ってお酒を飲んでいたり、いちゃいちゃしていたりふざけあっていたり、見たことのない光景だった。
人混みをすり抜けフロアまでたどり着くと、そこは一転してだだっ広く天井の高い空間。ほとんど真っ暗で、点滅するストロボがパッとついた瞬間だけ周りを確認できる。
人間の体より大きなスピーカーが四方に何個も積まれていて、天井は照明が何色も流れるようにアーチ状に光り、なおかつ奥の壁と手前の壁で合わせ鏡になっているのでその光が無限に何処までも続いていくように見える。
フロアにも人がたくさん。踊っている人、目をつぶってただ聴いている人、耳打ちで話をしている人、酔っ払いきってぐったりしている人が入り乱れ混沌としていて、その光景がストロボが切り替わるごとに少しずつ変わっていくのが分かった。
一番奥のステージには石野卓球。普通のライブハウスのステージよりも少し高いところにDJブースがあり、大きなスピーカーと機材に囲まれて何か作業をしている様子はDJというよりも大型戦艦の操縦士だ。
四隅のウーファーから
ボンッボンッボンッボンッボンッボンッボンッボンッと
ダークなベース音が鳴り続け、鼓膜ではなくお腹の下あたりに響く。その上のギラギラとした装飾音や カンッカンッカンッ という甲高い打楽器の音は境目が分からないほどゆったりと変わっていく。
最初は四方から聴こえるその爆音をうるさいと思ったが、せっかく来たのだからと真ん中の端の辺りまで進んで、壁にもたりかかりながら過ごすことにした……
10分経ち、20分経ち、いつの間にかその異様な音と光景を見よう、聴こうとする気持ちはどこかに消えてしまった。
バンドが好きな人でも、良いライブを見ている途中に没頭してしまって、ふと我に返って「今、自分は何も考えてなかったな」と思うことがあると思う。クラブはたぶん、その瞬間をずっと持続させる場所だ。ぼくはその音を聴いているというよりも音の中にいて、音と自分とその他全部が一緒になってどこかに行ってしまうような、そんな体験をした。
そこで聴いたクラブの四つ打ちは心臓の拍や、歩くテンポと一緒で人間が大昔から慣れ親しんでいるもの。どこまでも同じテンポで鳴り続けるベース音がぼくの細胞の奥の生命力に直接働きかけた…
……ドゥンッドゥンッドゥンッドゥンッドゥンッドゥンッドゥンッドゥンッドゥンッドゥン………
ここは宇宙の中で…全員のコア的なものが合体して大きいゴムまりになって…ボンボンボンボン跳ね回っているような気分…
嘘ではなく本当に、次に気が散って飲み物でも買いに行こうかなと思ったのはフロアに入ってから1時間45分後だった。それも、知らない人に肩を叩かれ、話しかけられたからだ。
初めてのトリップ体験を見ず知らずの人に邪魔されたことにイライラしつつもその場を終えて、ドリンクカウンターの辺りを歩き、それぞれの友人、恋人同志でだらだらする人達を眺めているとだんだん我に返ってきた。
1人で楽しもうとしてる方が少数派なのか…。
初めてのオーバードライブ
中1の時、姉の部屋に勝手に忍び込んでジュディマリのCDをこっそり盗んできた。少しマニアックな曲だけれど、BATHROOMは一度聴いて衝撃を受けてそのまま30回以上ループで聴きまくった。
それまでは曲を聴いてもギターとベースの違いも全然分からなかったけれど、この曲を気にして何度も聴くうちに少しずつそれぞれの楽器の音を聴き分けられるようになった気がする。
この曲も含めて、ジュディマリの曲は驚くほど複雑だ。ギターはずっとギターソロかよと突っ込みたくなるくらい終始リードを弾きまくっているし、ベースはずっとウネウネと動いていて、ドラムパターンもカチカチ切り替わる。歌の言葉数もメロディの上下も多い。
その時僕が弾いていたのはアコースティックギターだったので、エレキギターをひたすら弾きまくるジュディマリのギタリスト、TAKUYAは当時の僕にとって、とても衝撃的だった。
父親が大学でフォークソングサークルだったので、家にあったのはアコースティックギターだけだった。
僕は親にエレキギターを買って欲しいとねだったけれど、ロックにはほとんど興味がなくて、フォークソング一筋だった両親はなぜかエレキギターに偏見があり、音がうるさいとか、不良になるとか無茶苦茶な理由でずっと渋っていたが、半年くらい交渉してなんとか1万円の激安ギターをアンプと一緒に買ってもらえることになった。
当時、できたばかりだった群馬県太田市のイオンで初心者セットを買ってもらい、家に帰って早速繋いでみた。もしかしたら爆発でもするんじゃないかとドキドキしながらアンプとのスイッチを入れてそっと弾いてみたが、どうしてもあのギュイーンという音が出ない。シャリシャリと変な音が出るばかりだった。エレキギターの教本を見ると、どうやらエフェクターという別の物体が要るらしい。
すぐに近くのハードオフへ行ってジャンクで売られていたこれを買ってきた。今も愛用しているBOSS製品、OS-2だった。
心臓も飛び出しそうなワクワクを抑えてペダルを踏むといつものあの音が部屋中に響き渡った。これだぁーー!!と心の中で叫んで、その日は親に怒られるまで弾き倒した。父親もよく知らないエレキギターを見るのが結局は嬉しかったようで、そのあと教本をプレゼントしてくれた。
それからジュディマリのコロコロコミックくらい分厚いベストアルバムのバンドスコアを買って端から端までコピーした。部活が終わって家に帰ったらアンプの電源をつけて、弾けるようになった曲をコンポで流して合わせて弾くのがなにより楽しみだった。
一番好きなコードがCM7なのも、今思うとBATHROOMの最初のコードだ。
TAKUYAのギタープレイは名だたる海外のニューウェーブ系ギタリストと同じように、かなり変わっている。
というのも、エレキギターのバンド全体の中での役割にはバッキング(コード弾き)とリードがある。
演奏陣が4人のバンドなら、ギターがもう1人いて、1人がバッキング、もう1人がリードギターが普通。スリーピースバンドや、ジュディマリのような演奏陣が3人のバンドならギタリストは基本的にコード弾きやカッティングに徹して、ギターソロのところだけコード感をベースに任せてなんとかするのが普通だ。
ただTAKUYAの場合は、一曲の中でリードなのかコード弾きなのかアルペジオなのかカッティングなのかギターソロなのか速弾きなのかよく分からないような難しいフレーズをひたすら弾き続けて、なおかつボーカルの邪魔にならないばかりか、むしろツインボーカルのようにギターもボーカルに寄り添って歌っているように聴こえる。未だに不思議だ。むしろピアノに近いのかもしれない。
一方でセックスピストルズのギターは滅茶苦茶簡単で何の練習にもならなかったけれど、そのぶっきらぼうなフレーズが弾いていて楽しかった。
それまでエレキギターはただ、時々前に出てきてギュイーンとやるだけの楽器だと思っていた。でも色んなギタリストを見て分かったのは、弾く人によって好きなスタイルが違って、そのスタイルによって出る音も、使っている機材も、ギターの種類も、持ち方まで全く違うということだった。
エレキギターはそれが、なんでもありの音楽ジャンルであるロックを象徴してきたように、演奏者の思うままに作用する楽器だ。トランペットやバイオリンなどの他の楽器以上に。
対バンのギタリストを見ていても、自分と違う好みで、自分と違うルーツで音楽を聴いてきて、それが見ていて分かるから面白い。
みんなそうやって誰にも真似出来ないギタリストになっていく。
僕も誰にも真似出来ないギタリストになりたい!と思った。