四つ打ちと心臓
初めてクラブに行った時のこと。
それまで、バンドとDJが一緒になったものや知り合いが企画した小さなイベントにしか行ったことがなく、プロのDJを見たのはそれが初めてだった。
深夜12時を過ぎた頃、ほとんど人のいない静かな代官山の路地を抜けて一見ただのレストランに見えるガラス張りの建物の中にある、なんともセキュリティの過剰なエントランスを通って地下に降りる。
ドアを開くとそこは天井の低い薄暗い空間になっていて、様々な年代の男女がひしめき合っている。みんなそれぞれ服装はバラバラ。立ち話をしたり、座ってお酒を飲んでいたり、いちゃいちゃしていたりふざけあっていたり、見たことのない光景だった。
人混みをすり抜けフロアまでたどり着くと、そこは一転してだだっ広く天井の高い空間。ほとんど真っ暗で、点滅するストロボがパッとついた瞬間だけ周りを確認できる。
人間の体より大きなスピーカーが四方に何個も積まれていて、天井は照明が何色も流れるようにアーチ状に光り、なおかつ奥の壁と手前の壁で合わせ鏡になっているのでその光が無限に何処までも続いていくように見える。
フロアにも人がたくさん。踊っている人、目をつぶってただ聴いている人、耳打ちで話をしている人、酔っ払いきってぐったりしている人が入り乱れ混沌としていて、その光景がストロボが切り替わるごとに少しずつ変わっていくのが分かった。
一番奥のステージには石野卓球。普通のライブハウスのステージよりも少し高いところにDJブースがあり、大きなスピーカーと機材に囲まれて何か作業をしている様子はDJというよりも大型戦艦の操縦士だ。
四隅のウーファーから
ボンッボンッボンッボンッボンッボンッボンッボンッと
ダークなベース音が鳴り続け、鼓膜ではなくお腹の下あたりに響く。その上のギラギラとした装飾音や カンッカンッカンッ という甲高い打楽器の音は境目が分からないほどゆったりと変わっていく。
最初は四方から聴こえるその爆音をうるさいと思ったが、せっかく来たのだからと真ん中の端の辺りまで進んで、壁にもたりかかりながら過ごすことにした……
10分経ち、20分経ち、いつの間にかその異様な音と光景を見よう、聴こうとする気持ちはどこかに消えてしまった。
バンドが好きな人でも、良いライブを見ている途中に没頭してしまって、ふと我に返って「今、自分は何も考えてなかったな」と思うことがあると思う。クラブはたぶん、その瞬間をずっと持続させる場所だ。ぼくはその音を聴いているというよりも音の中にいて、音と自分とその他全部が一緒になってどこかに行ってしまうような、そんな体験をした。
そこで聴いたクラブの四つ打ちは心臓の拍や、歩くテンポと一緒で人間が大昔から慣れ親しんでいるもの。どこまでも同じテンポで鳴り続けるベース音がぼくの細胞の奥の生命力に直接働きかけた…
……ドゥンッドゥンッドゥンッドゥンッドゥンッドゥンッドゥンッドゥンッドゥンッドゥン………
ここは宇宙の中で…全員のコア的なものが合体して大きいゴムまりになって…ボンボンボンボン跳ね回っているような気分…
嘘ではなく本当に、次に気が散って飲み物でも買いに行こうかなと思ったのはフロアに入ってから1時間45分後だった。それも、知らない人に肩を叩かれ、話しかけられたからだ。
初めてのトリップ体験を見ず知らずの人に邪魔されたことにイライラしつつもその場を終えて、ドリンクカウンターの辺りを歩き、それぞれの友人、恋人同志でだらだらする人達を眺めているとだんだん我に返ってきた。
1人で楽しもうとしてる方が少数派なのか…。
初めてのオーバードライブ
中1の時、姉の部屋に勝手に忍び込んでジュディマリのCDをこっそり盗んできた。少しマニアックな曲だけれど、BATHROOMは一度聴いて衝撃を受けてそのまま30回以上ループで聴きまくった。
それまでは曲を聴いてもギターとベースの違いも全然分からなかったけれど、この曲を気にして何度も聴くうちに少しずつそれぞれの楽器の音を聴き分けられるようになった気がする。
この曲も含めて、ジュディマリの曲は驚くほど複雑だ。ギターはずっとギターソロかよと突っ込みたくなるくらい終始リードを弾きまくっているし、ベースはずっとウネウネと動いていて、ドラムパターンもカチカチ切り替わる。歌の言葉数もメロディの上下も多い。
その時僕が弾いていたのはアコースティックギターだったので、エレキギターをひたすら弾きまくるジュディマリのギタリスト、TAKUYAは当時の僕にとって、とても衝撃的だった。
父親が大学でフォークソングサークルだったので、家にあったのはアコースティックギターだけだった。
僕は親にエレキギターを買って欲しいとねだったけれど、ロックにはほとんど興味がなくて、フォークソング一筋だった両親はなぜかエレキギターに偏見があり、音がうるさいとか、不良になるとか無茶苦茶な理由でずっと渋っていたが、半年くらい交渉してなんとか1万円の激安ギターをアンプと一緒に買ってもらえることになった。
当時、できたばかりだった群馬県太田市のイオンで初心者セットを買ってもらい、家に帰って早速繋いでみた。もしかしたら爆発でもするんじゃないかとドキドキしながらアンプとのスイッチを入れてそっと弾いてみたが、どうしてもあのギュイーンという音が出ない。シャリシャリと変な音が出るばかりだった。エレキギターの教本を見ると、どうやらエフェクターという別の物体が要るらしい。
すぐに近くのハードオフへ行ってジャンクで売られていたこれを買ってきた。今も愛用しているBOSS製品、OS-2だった。
心臓も飛び出しそうなワクワクを抑えてペダルを踏むといつものあの音が部屋中に響き渡った。これだぁーー!!と心の中で叫んで、その日は親に怒られるまで弾き倒した。父親もよく知らないエレキギターを見るのが結局は嬉しかったようで、そのあと教本をプレゼントしてくれた。
それからジュディマリのコロコロコミックくらい分厚いベストアルバムのバンドスコアを買って端から端までコピーした。部活が終わって家に帰ったらアンプの電源をつけて、弾けるようになった曲をコンポで流して合わせて弾くのがなにより楽しみだった。
一番好きなコードがCM7なのも、今思うとBATHROOMの最初のコードだ。
TAKUYAのギタープレイは名だたる海外のニューウェーブ系ギタリストと同じように、かなり変わっている。
というのも、エレキギターのバンド全体の中での役割にはバッキング(コード弾き)とリードがある。
演奏陣が4人のバンドなら、ギターがもう1人いて、1人がバッキング、もう1人がリードギターが普通。スリーピースバンドや、ジュディマリのような演奏陣が3人のバンドならギタリストは基本的にコード弾きやカッティングに徹して、ギターソロのところだけコード感をベースに任せてなんとかするのが普通だ。
ただTAKUYAの場合は、一曲の中でリードなのかコード弾きなのかアルペジオなのかカッティングなのかギターソロなのか速弾きなのかよく分からないような難しいフレーズをひたすら弾き続けて、なおかつボーカルの邪魔にならないばかりか、むしろツインボーカルのようにギターもボーカルに寄り添って歌っているように聴こえる。未だに不思議だ。むしろピアノに近いのかもしれない。
一方でセックスピストルズのギターは滅茶苦茶簡単で何の練習にもならなかったけれど、そのぶっきらぼうなフレーズが弾いていて楽しかった。
それまでエレキギターはただ、時々前に出てきてギュイーンとやるだけの楽器だと思っていた。でも色んなギタリストを見て分かったのは、弾く人によって好きなスタイルが違って、そのスタイルによって出る音も、使っている機材も、ギターの種類も、持ち方まで全く違うということだった。
エレキギターはそれが、なんでもありの音楽ジャンルであるロックを象徴してきたように、演奏者の思うままに作用する楽器だ。トランペットやバイオリンなどの他の楽器以上に。
対バンのギタリストを見ていても、自分と違う好みで、自分と違うルーツで音楽を聴いてきて、それが見ていて分かるから面白い。
みんなそうやって誰にも真似出来ないギタリストになっていく。
僕も誰にも真似出来ないギタリストになりたい!と思った。
ボロボロでピカピカなギター
カエターノ・ヴェローゾについて
ポストパンク少年の作り方
近くの障害者施設に異動になったという話だけ少し耳に入って来たけれど。
パンク少年の作り方
ロックのジャンルの中に、パンクロックというものがある。
ただ、パンクの場合はひとつの音楽ジャンルと言うよりむしろその文化や思想、態度にその本質があると言われている。
今でさえ派手な髪色やライダースジャケットや鋲のついたベルトを見て「パンキッシュ」と言ったりするけれど、元々パンクはそんなおしゃれなものではなく、当時のパンクス(パンクな人)たちが求めていたのは他人が「うわ…」と思うような、普通と逆の事を自ら進んですることだった。
というのもパンクロックは1970年代後半のまだ階級制度が文化的に残っていたイギリスの貧しい労働者階級がわざとボロボロの服を着て髪をツンツンに立ち上げ、下手な演奏で過激な歌詞を歌い熱狂したカウンターカルチャーで、プロミュージシャンがじっくりと時間をかけて作る大長編で完成度の高い音楽が溢れていたなか、お金がなくても、身分が低くても、汚くても、バカでも、男でも女でも、音楽をやったっていいんだと訴えかけたものであり、流行とはむしろ逆行していた。
それがまた流行になっているのは皮肉なものだけれど…
そんな価値観の逆転によって労働者階級を救ったパンクロックだが、教員の両親の元に生まれ、特に貧しいわけでもなく、かといって裕福でもない群馬県の中流家庭で育った僕にとっても、それに触れたことは今考えてみればとても大きな事だった。
花瓶に刺さった花の色と形だけをざっと見て、ここはピンク、ここは緑だと勝手に決めつけ、花のことなんかよりも他の生徒よりも早く描き上げて褒められることしか頭になかった。