初めてのオーバードライブ
中1の時、姉の部屋に勝手に忍び込んでジュディマリのCDをこっそり盗んできた。少しマニアックな曲だけれど、BATHROOMは一度聴いて衝撃を受けてそのまま30回以上ループで聴きまくった。
それまでは曲を聴いてもギターとベースの違いも全然分からなかったけれど、この曲を気にして何度も聴くうちに少しずつそれぞれの楽器の音を聴き分けられるようになった気がする。
この曲も含めて、ジュディマリの曲は驚くほど複雑だ。ギターはずっとギターソロかよと突っ込みたくなるくらい終始リードを弾きまくっているし、ベースはずっとウネウネと動いていて、ドラムパターンもカチカチ切り替わる。歌の言葉数もメロディの上下も多い。
その時僕が弾いていたのはアコースティックギターだったので、エレキギターをひたすら弾きまくるジュディマリのギタリスト、TAKUYAは当時の僕にとって、とても衝撃的だった。
父親が大学でフォークソングサークルだったので、家にあったのはアコースティックギターだけだった。
僕は親にエレキギターを買って欲しいとねだったけれど、ロックにはほとんど興味がなくて、フォークソング一筋だった両親はなぜかエレキギターに偏見があり、音がうるさいとか、不良になるとか無茶苦茶な理由でずっと渋っていたが、半年くらい交渉してなんとか1万円の激安ギターをアンプと一緒に買ってもらえることになった。
当時、できたばかりだった群馬県太田市のイオンで初心者セットを買ってもらい、家に帰って早速繋いでみた。もしかしたら爆発でもするんじゃないかとドキドキしながらアンプとのスイッチを入れてそっと弾いてみたが、どうしてもあのギュイーンという音が出ない。シャリシャリと変な音が出るばかりだった。エレキギターの教本を見ると、どうやらエフェクターという別の物体が要るらしい。
すぐに近くのハードオフへ行ってジャンクで売られていたこれを買ってきた。今も愛用しているBOSS製品、OS-2だった。
心臓も飛び出しそうなワクワクを抑えてペダルを踏むといつものあの音が部屋中に響き渡った。これだぁーー!!と心の中で叫んで、その日は親に怒られるまで弾き倒した。父親もよく知らないエレキギターを見るのが結局は嬉しかったようで、そのあと教本をプレゼントしてくれた。
それからジュディマリのコロコロコミックくらい分厚いベストアルバムのバンドスコアを買って端から端までコピーした。部活が終わって家に帰ったらアンプの電源をつけて、弾けるようになった曲をコンポで流して合わせて弾くのがなにより楽しみだった。
一番好きなコードがCM7なのも、今思うとBATHROOMの最初のコードだ。
TAKUYAのギタープレイは名だたる海外のニューウェーブ系ギタリストと同じように、かなり変わっている。
というのも、エレキギターのバンド全体の中での役割にはバッキング(コード弾き)とリードがある。
演奏陣が4人のバンドなら、ギターがもう1人いて、1人がバッキング、もう1人がリードギターが普通。スリーピースバンドや、ジュディマリのような演奏陣が3人のバンドならギタリストは基本的にコード弾きやカッティングに徹して、ギターソロのところだけコード感をベースに任せてなんとかするのが普通だ。
ただTAKUYAの場合は、一曲の中でリードなのかコード弾きなのかアルペジオなのかカッティングなのかギターソロなのか速弾きなのかよく分からないような難しいフレーズをひたすら弾き続けて、なおかつボーカルの邪魔にならないばかりか、むしろツインボーカルのようにギターもボーカルに寄り添って歌っているように聴こえる。未だに不思議だ。むしろピアノに近いのかもしれない。
一方でセックスピストルズのギターは滅茶苦茶簡単で何の練習にもならなかったけれど、そのぶっきらぼうなフレーズが弾いていて楽しかった。
それまでエレキギターはただ、時々前に出てきてギュイーンとやるだけの楽器だと思っていた。でも色んなギタリストを見て分かったのは、弾く人によって好きなスタイルが違って、そのスタイルによって出る音も、使っている機材も、ギターの種類も、持ち方まで全く違うということだった。
エレキギターはそれが、なんでもありの音楽ジャンルであるロックを象徴してきたように、演奏者の思うままに作用する楽器だ。トランペットやバイオリンなどの他の楽器以上に。
対バンのギタリストを見ていても、自分と違う好みで、自分と違うルーツで音楽を聴いてきて、それが見ていて分かるから面白い。
みんなそうやって誰にも真似出来ないギタリストになっていく。
僕も誰にも真似出来ないギタリストになりたい!と思った。
ボロボロでピカピカなギター
カエターノ・ヴェローゾについて
ポストパンク少年の作り方
近くの障害者施設に異動になったという話だけ少し耳に入って来たけれど。
パンク少年の作り方
ロックのジャンルの中に、パンクロックというものがある。
ただ、パンクの場合はひとつの音楽ジャンルと言うよりむしろその文化や思想、態度にその本質があると言われている。
今でさえ派手な髪色やライダースジャケットや鋲のついたベルトを見て「パンキッシュ」と言ったりするけれど、元々パンクはそんなおしゃれなものではなく、当時のパンクス(パンクな人)たちが求めていたのは他人が「うわ…」と思うような、普通と逆の事を自ら進んですることだった。
というのもパンクロックは1970年代後半のまだ階級制度が文化的に残っていたイギリスの貧しい労働者階級がわざとボロボロの服を着て髪をツンツンに立ち上げ、下手な演奏で過激な歌詞を歌い熱狂したカウンターカルチャーで、プロミュージシャンがじっくりと時間をかけて作る大長編で完成度の高い音楽が溢れていたなか、お金がなくても、身分が低くても、汚くても、バカでも、男でも女でも、音楽をやったっていいんだと訴えかけたものであり、流行とはむしろ逆行していた。
それがまた流行になっているのは皮肉なものだけれど…
そんな価値観の逆転によって労働者階級を救ったパンクロックだが、教員の両親の元に生まれ、特に貧しいわけでもなく、かといって裕福でもない群馬県の中流家庭で育った僕にとっても、それに触れたことは今考えてみればとても大きな事だった。
花瓶に刺さった花の色と形だけをざっと見て、ここはピンク、ここは緑だと勝手に決めつけ、花のことなんかよりも他の生徒よりも早く描き上げて褒められることしか頭になかった。